水田の見えない価値
この時期になると、水田は本当に多様な生き物の命の拠り所となっています。10種?20種?少し作業の手を止めて観察しているだけで、沢山の水性生物と出会うことができます。僕らが暮らすことでこの環境を生み出せているのだと思うと、とても誇らしい。人間だって奪うことしか出来ないわけではないんだと、少し未来に希望を感じられます。
僕らが拠点にしている兵庫県の岩座神集落は、標高300~400mほどの傾斜のきつい中山間地域。一枚一枚の田んぼが小さく形もいびつで、農業をするにはどう考えても生産性が低いと言わざるを得ません。高齢化で、石積の手入れや水路の手入れ、草刈りもなんとかギリギリ保っているような状況なので、このままでは10年後には、どうなってしまうのだろうか。村の会議でその話題になるといつも暗く重たい空気になってしまいます。
だけれど、僕は水田には、まだ見逃されている価値が沢山秘められていると思っています。その多くが実は今の社会の中では価値が見える化できていないない、正しく評価できていない価値です。いつくかあると思っていますが、その一つがこの多様な生物のいる環境です。
数年前、モリアオガエルの卵塊から22種の新種のタンパク質が発見されたというニュースがありました*。これは医療分野での応用が期待されていて、こういう生き物が持つ未発見の可能性がまだまだ残されているはず。これがいわゆる「生物多様性の保全」の人類にとっての価値です。岩座神にもモリアオガエルは生息しています。
だけどこの価値は数値化することが困難なので、なかなか経済合理主義の原理の中では評価できない状況なのだと思います。だから米をいざ市場で販売しようとすると、収穫物としての米だけの価値が評価されてしまい、その他米づくりに付随する価値はまるで無かったかのようになってしまうのです。
僕は米をつくりながらいつもそのことがとても寂しく感じていました。これだけの生き物が集まり、米の作業に付随して人が集まり温かい場が形成され、日本らしい景色も守られていく。水田には水の反乱を抑えるダムとしての役割もある。それが、多少の補助金はあるにしても収穫物以外のほとんどすべての価値が評価できずに後の世代への橋渡しが途切れようとしているのです。
この状況に明確な答えは見いだせていないのだけど、僕たちの米づくりの方針として決めたことは、まず「米の収穫を目的としない」ことです。これは新しい価値を見出す為の一つの挑戦です。ぼくらは生物にとっての住処を提供して、なるべく沢山の生き物を保全する。米はあくまで副産物として取れ、それをコミュニティの中で分ける。そんな未来の米づくりのイメージを持っています。短期の経済合理性ではなくすべての生き物(人も含む)優先なので、農薬などはもちろん使用しません。
もしそれに共感してお米づくりをお手伝いしていただける方、生物多様性の価値を評価する土壌をつくるために、生物の研究調査をしてくださる方。大学などで研究をしている学生なども、是非ご連絡いただけたら嬉しいです。お米については作業時間に応じて収穫したお米を分配するスキームを考えています。
お米を買うのではなく一緒につくる。そしてそれが生き物や村の景観を守ることに繋がる。AIがいくら発達しても、きっとまだまだ石垣を積むことはできませんし草刈りもできません。村の維持には関係人口がとても重要です。水田に多方面の価値を結びつけることで、様々な方が集まり、村が守られている。これからの農業の一つのあり方に、そんな考え方あってもよいのではないでしょうか。
